アスペルガーなのか定型なのか

小学校低学年くらいからずっと空腹や満腹があまり分からない。

いつでも食べようと思えばいくらでも食べられるけど、積極的に食べたいとは思わない。

でも胃がなんとなく重いというか調子が悪い感じがしたり、すぐ息切れしたり視野欠損が起きたり、体にエネルギーが足りていないように感じることはあって、高校生くらいからはそれが食欲とはつながっていなくても「空腹」なんだろうと思うようになった。実際、食事をしないで外出したり体を動かすとその「空腹」状態になることが多かった。

鍵カッコつきの空腹なのは、それとは別に実感を伴う空腹を感じることもたまにあるからだ。すごく運動した後なんかは「お腹が空いた、ごはんが食べたい」と言えるくらいちゃんと空腹を感じることがある。

満腹についても分からなくて、だいたい美味しく食べれるのは腹五分くらいまでで、それ以降は箸がすすまなくなる。それでも店なんかで出される料理は腹八分くらいの量があるので、残してはいけないという気持ちで頑張って食べているし、食べれる。

ただ腹五分以降はどれほど食べても「お腹にものがたくさん詰まっていてなんとなく苦しい」という感覚にしかならない。決して「お腹がいっぱいになった」「幸せ」にはならなくて、ただただお腹が苦しい。それを頭で「満腹ってこういう状態なのかな」と思っている。

 

以前友人にこの話をしたら、発達障害の人は空腹が分からないらしい、ということを教えてもらった。ただ空腹だけではなく気温や疲労も分からないことが特性と聞いて、自分はそれらは分かるので発達障害ではないんだろうなと思っていた。

それが、たまたま「自閉スペクトラムの人は『やりたいことをやる時間』について、どうしてもそれ以上減らせない限界値以のようなものがある」という旨の画像(https://twitter.com/jingisukaan1/status/985404890838020096)を見て、やりたくないことをどうしても出来なかった自分は、また少し発達障害の可能性を考えた。

 

結論から言うとおそらく発達障害ではない。ASDの特徴は誰にでも当てはまるもので、その特性がとても際立っている場合にASDと診断されるのだろう、おそらく。

自分にも当てはまる点は多いが、まったく当てはまらない点もある。専門家にきちんと診断してもらおうとは思っているが、自分の生き辛さに明確な名前をつけて安心したい身としてはASDではなさそう、ということに少し落胆した。

それでも結局、自分の生き辛さの理由と対策が分かるのなら何でもいいので、この機会にASDの特徴と自分の特徴を比較してみようと思う。

 

そして発達障害ASDについて、ネットで調べた程度の知識しかないので、もしこれを読む人がいたら、詳しい知識や理解のためには他の方の記事を読んでほしい。この記事は個人の頭の中を整理するためのものなので、情報の正しさはない。

 

一番自分に近いのはアスペルガーの受動型だと思った。

類似点は

・善悪の判断がつかない(誰かに叱られるから悪いことはやらないし良いことをするが、絶対的な善悪はないと思っている)

・積極的に対人関係はつくらないが、誘いには応じるため友達はいる(渉外や接客など必要があれば積極的なフリもできる)

・集団に馴染みにくい性質だが、集団に馴染まなければという意識が強い(服装や趣味が「普通」であるように過剰に気を遣う)

・困っているのに何が困っているのか分からない(分かるときもあるが、人に「困ってるみたいだ」と言われるまで困っていることに気付けない)

・相手の話を真に受けやすく、愚痴や望みを聞くと頑張りすぎて体を壊す(電車に乗り合わせた見ず知らずの人の愚痴も辛く聞きたくない)

・騙されやすい(気を付けていれば騙されない)

・言葉で言い表さないが強いこだわりがある(食べ物や絵に関する好みが細かいため、人に伝えても理解されないことが怖いし面倒なので言葉にしない)

・人に愛着はあるが喜びや悲しみが顔にでない(全く自覚がないが、友人から「そんなに楽しそうな/驚いた顔は初めてみた」と言われる)

・周囲に合わせすぎるため、心身の消耗が激しく体調を壊す(一人でいることが全く苦痛でないし、必要)

・自分の体と物・人との接触を嫌がる(ジーパンのぴったり感が嫌で癇癪を起したことがある、パーソナルスペースが広い)

・約束や期日を守れない、間に合わない(ただし1/3くらいは逆に物凄く早く行える)

・仕事や作業を順序だてることが苦手(計画をたてることが苦手だが、死ぬ気でやれば立てられることもある)

・時間管理が苦手(感覚でものごとを行いたい)

・ストレス耐性が強い(行動するときは自動的にマイナスなことを感じないようになる)

・自分の好みなどについて、人から指摘されて初めて気づく

・物の存在意義や感じ方について、子供の様に気付く(美術館の存在意義、赤信号を渡ってはいけない理由)

 

当てはまらない点は

・周囲に流されやすい、グループではリーダー各の言うことにのりがち、周囲が騒ぐと理由が分からずとも騒ぎすぎる(反対意見を言うことに躊躇はない)

・皆の意見に流されてよくない行動を取る(自分の信念に合わない行動はしない)

・人の表情やジェスチャーを読み取れない

・空気が読めない

・物を並べる、叩くといった単調行動(どちらかというと単調行動やその反復は好きだが、病的に行うことはない)

・習慣への強いこだわり、変化を嫌う(習慣はないし、規則に則ることが苦痛なときがある)

ケアレスミス(不安な点は五度くらい確認するためケアレスミスは少ない)

・忘れ物、なくしもの(特に多いということはないし、大抵カバーできる範囲で気付いたり思い出せる)

・片づけが苦手(散らかっている、の基準が低いため部屋は汚いが、たまに対応できる)

・多動性(胡坐や足組は常にしているが、そこからあまり動かない)

・思ったことをすぐ口に出す(失言はあまりない)

・衝動買い

・フリーズやメルトダウン

・感覚過敏(香辛料やコーヒー、フードコートの複雑な匂いが苦手だったり、真空パックされた食品の味が苦手、大声や人の感情的な声は苦手だが過敏というほどではなさそう)

自分の許し方

一人暮らしを始めてだいぶ元気になってきた。好きなときに好きな食事が作れるし、風呂に入れるし、壁に気に入った絵をたくさんかけて眺められる。

 

友人にコメントを貰えたのも大きい。

人の性質なんかを言い当てるのがうまい友人がいて、一時期自殺を考えたことの話なんかをしたらその人から電話が来て、三時間くらい話してくれた。

曰く自分は「何かを決めること」「自分を許すこと」が苦手らしい。納得するまで三時間付き合ってくれた心根がすごい。

せっかくだから友人が話してくれた内容もまとめよう。

・「他の人がこれが良いと言ったから自分もそう行動する」というように人に全て決めてもらう生き方ができる人間もいるし、そういう人はそれでいいが、お前は自分で決めたことに従う方が性に合っているタイプだ。なのに自分で決めるということを、辛くて面倒だから避けて人の意見に従うふりをしている。しかし納得できていないからしんどくなっている。楽な行動を取り続けるのは、自分に甘いが優しくない選択だ。結果的に苦しんでいるのだから、自分を虐待しているようなもの。

・矛盾しないということも完全に割り切れることもあり得ない。大抵の人は自分が決めた道と、他の道を選べばよかったかなという気持ちの間を揺れているもので、でも自分で決めたからには表立って不安や後悔を口にするわけにはいかないから、そういうときに愚痴を言う。

・何か(例えば絵)を始めた原因ときっかけを逆に捉えているからしんどくなる。大抵きっかけ(誰々に憧れて、とにかく褒められたくて絵を始めた)は外的要素で、原因(絵を続けた理由、絵が好きという気持ち)は内的要素だ。しかし分かりやすいきっかけを自分のなかに求めて(自然と絵を描き始めたとか)、責任と表裏一体の原因を他人に求めがち(絵でしか評価されないから絵を描き続けるとか)で、かつそんなことは滅多にあり得ないから苦しむことになる。

12月末に電話があってからこのことについて度々考えている。

 

だいぶ元気になったとは言え、最近は気持ちの上下が激しい。落ち込むときは「眠くもないくせに起きようとしないでぐずっているどうしようもない奴」「センスも才能もない、子供の落描きレベルでデザイン関係に進みたいなんて寒気がする」「何もできない、したくない」みたいなことを考えている。

それがネットを漁って好きな絵を見たり、何もなくても突然「自分は絵が描ける、すごい、これから何でもできる」「新しいことに手を出してみようか」みたいなポジティブ思考のなったりもする。

日に二度三度、この二つを行き来するので躁鬱っぽいと思いつつ、例えば人と話すならテンションは全く変わらないだろうから、ただの気分のムラなんだろう。

 

それで、気分が落ち込む度に泣きながら色々考えて、自分の許し方を思いついた。

思いついたといってもネットで調べて見かけた意見を解釈しただけで、でも「分かった」と言えるほど身についてはいないからこう言っているだけだ。

1、「自分を許します」と口に出して言う。

2、「次は頑張る」という前向きな気持ちを前提として、過去に自分がとった行動は全てそのときにできる限りの行動だったと信じる。

1の方法は実は結構ハードルが高い。自己肯定感がないときは、たとえ本心じゃなくともそんなことは言えない。だから自分がどれだけ参っているかの判定に使えると思う。しかしなんとなく宗教っぽいと思うし(だから宗教は偉大なのだろうが、自分はあまり好きではない)、慣れてしまったら他人の前でもやりそうで怖い。

2の方法はなんの引っかかりもなく納得できるが、すぐ忘れそうである。今までの行動を「そのときできる精一杯だった」「過去は変えられないのだから、どんな行動も今の自分のために必要だった」と解釈するのはわりとよくやっていた。しかし自分を甘やかすための詭弁だと思っていたし、たぶんこれだけだと実際そうなのだろう。次回頑張るために、という前向きな気持ちが前提にあればきちんと成り立つのだと思う。

「次は頑張る」というのは幼いようで、意外とその姿勢さえあれば人は大目に見てくれるものだろう。大目に見ない人は、きっとその人の心が狭いだけだから勘定に入れる必要はない。

 

友人との電話で自分の生きにくそうな生き方に気付いて、それでも20年以上も生きていたことから生まれて初めて人間への愛しさと面白さを感じた。人間は面白いと言い切れる人は、そういう複雑なところに気付く能力があったのか、たくさん見てきたんだろう。

いままで人の感情の動きが嫌いで、みんな無感情で安定していればいいのに、と思っていたのは経験の浅さの表れなのかもしれない。このまま色んな経験をして、人間が好きとか言えるようになればいい。その方が絶対に生きやすい。

 

自殺を考えた話

唐突にまた少し自殺のことを考えてしまったので取りあえず吐き出そうと思う。

 

ここ一年くらい抑うつ気味で、今大学三年生になるのだがほとんど講義に出ていなかった。たぶん行きたかった大学に受かって浮かれて、サークルを二つがっつり掛け持ちしたり友だちを増やしたりで元気に活動しすぎたせいで、疲れてしまったんだと思う。

 

それで特に三ヵ月前(2017年9月末頃)から何にもやる気が起きなくて、でもたまたま友人に勧められたゲームにはまって、趣味のイラストやら絵だけは描けていた。もともと絵が死ぬほど好きだったから、藁にもすがる思いというか、絵にひたすら救いを求めていた。

メンタルクリニックに行ってみたが、医者には鬱ではなくて、就活のこととかで不安になっているようだと言われた。絵は描ける、嫌いなこと(講義にでること)はしたくない、という話をカウンセラーにしたら、休学でもして絵を描けばいいんじゃないかと言われた。

母親に芸術家を目指すことを反対されていたし、大学が東大で身近に絵を死ぬほど好きって人がいないしで、そんなことを言ってくれる人がいなかったからそのことが本当にうれしかった。自分でも、一年くらいひたすらに絵を描いていたら、幸せがたまって、なんとか耐えて卒業はできるような気がしていた。

(ただし休学したい旨を母親に話したら反対されて、兄とも号泣しながら話し合うはめになった。)

 

その後11月中頃までは楽しく絵を描いていた。特に11月に入ってからの二週間くらいは凄く気に入った絵が描けて、この調子なら休学しなくてもまた講義に行けるようになるかも、なんて思うほどだった。

 

それが11月中頃の起き抜けに、たぶんしびれを切らしたんだろう母親に怒鳴られたことで一転、最悪の精神状態になった。

朝、寝ていたところに部屋に入られて(洗濯物を干すには自分か兄の部屋に入るしかない)、「なんでまたゴミ箱いっぱいになってんのよ!」「医者がなんて言おうと全部あんたの頭の中で起こってんのよ!」とか怒鳴られた。つでにベッドに乗り上げられて、カーテンも開けられた。

まあ母は潔癖気味で、自分はそれに反発して汚いものが好きだったりするし、鬱も脳の問題だからあながち罵倒とも言い切れないな、なんて瞬時に思ったりもしたけど、とにかく怖かった。このまま家にいたら生きていられないと強く思った。すぐさま家出を決意したほど。

 

で、21歳にして人生初の家出をした。

初日は都内の安いネカフェに泊まって、でもうまく寝れなくて体がばきばきになったから翌日の昼に家に帰って寝て、恋人にお願いしたら数日家を貸してくれるというので(恋人は入れ違いの出張で不在)、翌朝また家を出た。計4日になる。

 

ちなみに新宿歌舞伎町のう〇広場のネカフェがたしか8時間千円程度でオススメ。でもシートはリクライニングじゃないから寝れない。

この家出中に真剣に自殺を考えたり、歩いていても涙がでたりで大変だった。

真剣にといっても、日に二度三度と自然に「死ぬことが自分が今できる一番いい問題解決方法だな」と考えたり、ネットで自殺の方法を調べて「最低でも15階以上、できれば20階以上の建物からの飛び降りがいいな」と思って、歩きながら「あの建物ならいけるかな」とか考えたり、飛び降りて地面に落下していく情景をリアルに想像する程度で、実際に屋上に行ったりはしていない。

でも、少し元気になった今なら断言できるが、そもそも日に一度でも自殺する可能性を考えるのは普通じゃない。かなり精神状態が悪い。幸せに一般的に生きているなら一日に一度も自分が自殺することなんか考えない。

もし少しでもそういうことを考えてしまう人がいたら、「でもまだ屋上にいったりロープを準備してないから、本気じゃないんだ」とか思わない方がいいと思う。

自分がやばい状態だって分かったところで劇的に何か救われる訳じゃないけど、それでも「一瞬でも自殺を考える自分は今やばい状態だ」っていうのは覚えていたほうがいいと思う。

あと、人間は生きたいと思うのが生き物として自然なんだから、「死にたいって言うくせに死にきれない自分が情けない」みたいなことは思わないでいい。死にきれないのが当然だし生きたいと思ってしまうのも当たり前で、そういうことを思ってしまう自分を許して大切にしてもっと可愛がった方がいい。その部分がなくなったらいよいよ本当に死んでしまうので。

 

そんな状態でも一応自殺を思い留まったのは、死にもの狂いでカウンセリングの予約をとって少し安心したり、そのカウンセリングで以前からうすうす思っていた、母親との確執(というよりインナーチャイルドのようなもの)を認識したり、何より自分を救えるのが自分しかいないってことに気付いたからだった。

ちなみに、カウンセリングや心療内科は予約が一か月先しか取れないなんてことがざらにあるけど、たしか「(地域名) 当日初診 心療内科」とかで検索すれば案外出てくるから諦めるにはまだ早い。

 

涙をだらだらたらしながら考えていたことは、

「あまりにも辛いからもう死ぬのが自分が出来る範囲で辛さから逃れられる一番いい問題解決方法」

「本当は誰かに今抱えている用事ややるべきことを全てキャンセルしてもらって、ただ横になっていられる場所を用意してもらって、『あなたは今何もできない状態だから私が全て代わりにうまく手配して守ってあげる。もう大丈夫』って言ってもらいたい」

「カウンセラーは自分が望む言葉をかけてくれるし、友人や恋人も仮に相談したら心配してくれるだろうけど、でも現状を積極的に変えてはくれない」

「もう成人した人間で、赤ん坊のような可愛げもないのだから、誰もわざわざお節介を焼いて全てから守ってくれるなんてことはしてくれない」

「自殺するなら誰にも悟らせず、元気になったふりをしてそのまま飛び降りれる自信がある」

とか、そういうことだった。

それで、死にたくはないのに確実に死ぬ直前に誰にも引き留めてもらえない自分を想像するとあまりにも悲しくて、かわいそうで、今思い出して文字を打ってる最中にも涙がでるほど本当に辛くて、もう自分の自殺を止められるのは自分しかいないなって悟った。頼れるのも救えるのも自分だけだと思った。

そういう風に悟ったら、もう何もかも捨てて、フリーター生活をしたってたぶんどうにか40歳くらいまでは生きれるし、そしたら今の倍絵が描けることになって、そりゃもう滅茶苦茶絵が上手くなれるよやったじゃん!って思うことができた。

 

それでそのときサークルで引き受けていた、二週間後の結構大事な発表会の仕事を全て断って、当日も行かないことにして、習い事もやめてゼミもしばらく休むって連絡をいれた。なんとか参加したいと思っていた絵の展示会も、負担ではあったから断った。そのとき一部の人には素直に伝えた、「自殺を考えるほどになってサークルどころじゃなくなった」って言葉は今思い返すと少し面白いし、客観的にそりゃかなりやばいしもっと前からそう断ってもよかったよって思う。

全て断って片づけたら少し気分がましになったし、恋人に迷惑がかかるからと家に帰ったら、両親も多少なりとも家出中にご飯をちゃんと食べてるのかだとか心配してくれていたようで、「とにかく何もせず横になっていたい、でも家でそうしていると母親になにか言われるから、バイトでお金をためて家をでたい」という願いを父親が聞き入れてくれた。

一人暮らしの費用も家賃も出してくれるというし、母親も気を遣って部屋に入ってこなくなったので、今に至るまで一ヵ月引きこもりのような生活をしている。

母親は自分の中でトラウマになったから、自分を守るためにも未だに顔を合わせたくないし会話もしたくないが、案外両親も何かしらしてくれるもんだなという感想を持っている。

 

元気なときは、もうこのまま一年は休んで絵を描くだけの生活をしてやる!と前向きになれるが、元気じゃないときは相変わらず不安がぼろぼろ出てきてしまう。

周りの普通の人はちゃんと大学に通えているのに、自分は朝決められた時間に起きることも引っ越し手続きの電話をとることも好きな物のために通販をすることもできない。できるようになる気もしない。成人して働くこともできるはずなのに、ただ横になって毎日だらだらしているだけで、そのくせ本当は体は元気だ。何もしたくないくせに、頼まれてもいない相手の欲求を勝手に汲んで先取りして、「やるよ」なんて言うから、どんどん自分の首を絞めている。

 

そんなこんなでまた突発的に自殺のことを考えてしまって、今度は実行しそうともしようとも思わないが辛くて泣いていた。

文章を打っていたら無心になってきたけど。

相変わらず繊細なのか何なのか、人の生活音や声を聴くのが耐えられなくて、一日中音楽や動画をイヤホンで聞いていないといられない。

母親はお菓子を部屋の前に置いたり入院したいとかない?って聞いてくれるけど、そういうことじゃないし、それを言って欲しかった時期はもう過ぎてしまったんだよと思う。 部屋に引きこもったからいよいよやばいんじゃなくて、もっと前にすごくどうしようもない時期を乗り越えての引きこもりなんだけどな。 自分のことを理解してあげられるのも救えるのも自分だけです。